鹿沼市銀座通り七夕まつりの歴史
鹿沼市の銀座通り七夕祭りは、その頃に盛大に開催がされていた商店街のお祭りでした。 当時の鹿沼市の銀座通りといえば市内で最も栄えていた商店街でありまして大勢の人が賑わっていました。
七夕祭りにおいては、人がすれ違うことができないくらいの大盛況なお祭りで、子供達は当時の七夕祭りを本当に楽しみしていたようです。
七夕まつりは、各店舗で七夕の飾りをコンテスト形式で競っていました。主催は鹿沼市でそれなりに豪華な景品をもらえました。店によっては、操り人形を作って飾りにつけたり、大きなボンボリをみんなで作って、準備はとても大変だしたが、その準備はとても楽しいものでした。そして、露店が立ち並び、ライトアップして2日間祭りを開催していました。
銀座おばけ屋敷の始まりは、最初は子供たちのイタズラ程度でした。七夕の来場者をおばけのお面で脅かしたり、2階の窓からオバケやコンニャクを吊るしたりして往来のお客様に悲鳴をあげさせていたのがスタートでした。銀座にオバケが出る!と話題になりましたが、銀座商店街振興組合で本格的にやってみよう!と、一角に小さなオバケ屋敷を誕生させたのが始まりでした。
以来、毎年オバケ屋敷は評判で七夕の恒例イベントとなっていったようです。
そのほか、サンバカーニバルを開催したことも、鯨の解体即売会なんてのもありました。
しかし、残念ながらこれらの記憶は、現在鹿沼市に住まれる60代以上の方々の記憶の中にのみ生き続けています。 その後は、大型店舗の進出や、郊外開発、車社会の到来のよって商店街が衰退していくると、銀座通りも衰退の一途をたどり、同時に七夕祭りもいつしか開催がされなくなりました。
今では営業をしている店もわずかになり、七夕祭りは、現在の若い方々には開催されていた事すら知られることはなく、風化されようとしています。